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序章東京インキ創立前史
1875 〜 1922年
大橋光吉により、東京インキの前身である、日本油脂工業所が設立される。
東京インキ100年の歴史がここから始まった。1875〜1922年
1875年
創業者である大橋光吉(旧姓・森垣)が兵庫県城崎郡五荘村に誕生
1894年
大橋光吉 博文館へ入社
1898年
大橋光吉 博進社 総務部長任命
1904年
大橋光吉 日本葉書会創立と「ハガキ文学」の創刊
1905年
合資会社博文館印刷所の創立
大橋光吉 株式会社に変更後は専務取締役に就任1906年
大橋光吉 精美堂を創立、社長に就任
1916年
大橋光吉 精美堂練肉部を独立させ、油脂より印刷インキ製造までを目的として合資会社日本油脂工業所を設立
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第1章東京インキの誕生
1923 〜 1944年
関東大震災を機に日本油脂工業所を改組し、東京インキ設立。
グラビアインキに進出するなど着実に成長を遂げ、印刷インキ工場の新設、増設を繰り返し当時東洋一の印刷インキ工場となった。1923〜1944年
1923年
関東大震災
合資会社日本油脂工業所の業務一切を継承し、現 豊島区南大塚(巣鴨)に東京インキ株式会社誕生
1928年
現 北区田端新町に田端分工場を設置
1929年
大阪営業所の開設
1930年
田端分工場内にグラビア工場を新設
田端分工場に製油場・墨インキ配合場を増設
1934年
中国へ輸出拠点の設置
1937年
巣鴨から田端へ本社移転
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第2章廃墟からの復興
1945 〜 1949年
第二次世界大戦の空襲による壊滅的な被害を受けるも大橋光吉社長の「どんなことがあっても、昔のように再建する」と堅い決意により社員一同力を合わせ、焼け跡の整理に立ち上がった。
1945〜1949年
1945年
4月 空襲による工場焼失
8月 敗戦による海外資産喪失
9月 印刷インキの生産再開
1946年
4月 労働組合の誕生(東京インキ従業員組合)
5月 埼玉県大宮市(現さいたま市)に大宮顔料工場を新設、全般顔料の自製を開始
7月 大橋光吉初代社長逝去
8月 大橋貞雄2代目社長就任
1948年
印刷インキ試験部門発足
(田端本社工場内に印刷インキ試験刷り工場を設置) -
第3章転換期
1950 〜 1960年
戦後アメリカからプラスチック製品が輸入され、成形用合成樹脂市場は爆発的に拡大。当社は印刷インキの製造技術を応用した成形用合成樹脂着色剤の製造に着手した。(のちの化成品事業)
1950〜1960年
1952年
印刷インキと印刷機械の販売代理店として共商株式会社を設立
新聞インキに参入
香港に代理店を設置
(1952年以降タイ、インドネシア、シンガポール、台湾、ビルマにも代理店を設置)1953年
化成品事業に進出
1954年
名古屋、北海道、九州に出張所を開設
1955年
マスターバッチの生産開始
1957年
森垣治雄3代目社長就任
1958年
大宮顔料工場の隣地に化成品工場を建設
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第4章高度成長
1961 〜 1973年
高度成長期の中、印刷インキ事業の利益が伸び悩む一方で、石油化学製品の生産量が爆発的に伸び、化成品の売上高が印刷インキを上回った。また、現在の旗艦工場である吉野原工場を新設した。
1961〜1973年
1961年
東京証券取引所株式市場第2部に上場
1963年
社内報「道標」創刊
埼玉県大宮市(現さいたま市)に吉野原工場を新設、操業開始
1964年
東京ポリマー株式会社設立
1965年
大宮から吉野原にマスターバッチ工場を移転
吉野原工場にドライカラー工場(PM工場)とカラーコンパウンド工場(KP工場)再建、生産開始
1968年
大阪府枚方市に大阪工場新設
1970年
吉野原工場にマスターバッチ工場を新設
1972年
大宮工場から吉野原工場にトナー生産設備を移転
1973年
創立50周年記念式典開催
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第5章石油危機、不況の克服
1974 〜 1980年
石油危機を迎え東京インキも苦境に立たされるが、組織の改正や人件費の抑制、新製品を積極的に投入するなど次々に手を打つことで、この危機を何とか克服した。
1974〜1980年
1975年
事業部制を廃止し、本部制と組織を全面的に改正
1976年
役員・管理職の昇給停止
1979年
社内募集により新社章制定・バッジ配布
1980年
英国および台湾に平活版インキの技術輸出を実施
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第6章安定成長
1981 〜 1991年
石油危機克服後、日本経済は安定成長期に入ると、プラスチック製品の需要拡大に伴いカラーコンパウンドの需要が増加し、化成品事業の拡大につながった。
1981〜1991年
1981年
田端工場に平活版インキ工場を新設
シンガポール駐在所の開設(初の海外駐在所)
1982年
本社別館新築
片岡和彦4代目社長就任
大宮工場跡地売却
1985年
米国ロサンゼルス連絡事務所の設置
京昶パッケージ株式会社の設立
1986年
大橋淳男5代目社長就任
埼玉県羽生市に羽生工場を新設
東京ポリマー株式会社を三井石化産資に改称
1987年
東京インキ株式会社U.S.A.の設立
1989年
羽生工場に印刷インキ工場を設置
1990年
吉野原工場第1製造部添加剤MB製造ライン稼働開始
吉野原工場第3製造部RMカラートナー本格製造開始
福岡支店新社屋の新設
1991年
岐阜県土岐市に土岐工場を新設し、名古屋工場を閉鎖
宮崎県都城市にトーイン加工株式会社を設立
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第7章次なる成長に向けた競争力の強化
1992 〜 2008年
バブル崩壊後、次なる成長に向けた競争力強化のために営業所や工場の再構築を実施。子会社の設立、買収や海外への関連企業進出により、将来に向けての事業基盤を強固に。
1992〜2008年
1992年
インキ事業を再編成し大阪工場をコンパウンド専用工場へ
福岡県三潴郡大木町に福岡工場を開設
1995年
協力工場を100%子会社化し、社名を関西トーインテック株式会社に変更
1996年
埼玉県吉川市に吉川工場を新設
1997年
フィリピンへグラビアインキ技術を輸出
1999年
林インキ製造株式会社を子会社化
協力工場だった英泉ケミカル株式会社を取得
2000年
東京ポリマー株式会社を100%子会社化して再設立
2003年
ハイニックス株式会社を100%子会社化
2005年
平版インキ技術部を田端から羽生へ移転
2006年
中華人民共和国上海市に現地法人東京油墨貿易(上海)有限公司を設立
吉野原工場に本社棟を新築
2008年
他社より一軸延伸フィルム事業を譲受
翌年、東洋整機樹脂加工株式会社を連結子会社化関西トーインテック株式会社解散
ハイニックス株式会社全株式売却
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第8章変革と新たなる展開
2009年 〜
34年ぶりに社長が交代し、堀川聡が第6代社長に就任。
全社員に向けて「我々が進むべき道は『色彩を軸に、市場が求める価値をお客様とともに創造、実現し続ける企業』を目指すことであり、ともに明るい未来を目指して、歴史ある東京インキに新しい歴史を刻んで行こう」と呼びかけた。2009年〜
2009年
東京都北区にTIC王子ビルを購入
2010年
タイ王国バンコク市に現地法人東京インキ(タイ)株式会社を設立
田端工場跡地売却
土岐工場の第2工場が竣工
2015年
ロゴマーク制定
初の海外生産拠点である東京インキ(タイ)株式会社の工場が稼動開始
2016年
中期経営計画「TOKYOink2020」の策定
企業理念・目指すべき企業像の変更2019年
ハヤシ化成工業株式会社を非連結子会社とする
2020年
堀川聡6代目社長就任
大阪工場に新工場を建設
2021年
荒川塗料工業株式会社を連結子会社とする
2023年
12月10日 創立100周年